前の週は、『こんなに晴れつづきでエエんやろか…』、とちょっぴり不安な日々を過ごしていました。そして案の定『ゆんで先生のスケッチ旅行の日はやっぱり雨の予報やわ~』と言われることとなりまして、かなり憂鬱な気持ちで集合場所へ向かいました。
参加される常連さんたちは慣れたもので、普通の折りたたみ傘だけでなく、暴風雨のレポーターでも出来そうな完全武装で来られました。…いつもどんな状況でスケッチさせてんねんやろ…
ですが、雨を降らせる前線というのは、よく考えてみるとだいたいは蛇行しているもので、例えば大阪が雨でも北の方は晴れていたりするようです。つまり、今回はうまく前線の蛇行に助けられたようです。要するに、ゆんで先生のスケッチ旅行なのに、雨の予報やのに、スケッチする時は晴れているという“お約束破り”な幸運な旅となりました。
さて、今回一日目に訪れたのは、奥丹後の『世屋』という過疎の集落です。
…美しい集落なのに過疎化が進んでしまっていて、なんとか守り残そうと頑張っているらしい…
という情報から出発した企画でした。しかし単純に観光客が喜ぶような風景ではありませんでした。なんと言うか、あのブータン王国を訪ねた時に味わった感覚のような、なんとも爽やかな、そしてズシリと重たい課題を課されたような、そんな気持ちにさせられる集落でした。
バスが通れない山道をタクシーでズンズン行くと、トタンが張られた元茅葺き(正確には、表面は笹吹き)の集落がぽっこり現れました。元茅葺きの家なら、まだまだ日本中に多々ありますが、ここ世屋での気配はナニかが違います。
我々は、タクシー6台に分乗して20人ほどで訪ねたのですが、現地でこの世屋を守り残そうと頑張っておられるNPO法人のEさんに説明と案内をお願いしてありました。以下そのEさんのお話と僕なりの推測を重ねて書きます。
まず、世屋(上世屋と下世屋があって、訪れたのは前者)で目にした花々がなんとも自然で鮮やかに見えました。そしてちょうど水張りの田植え真っ只中でしたが、山からの天然水を張られた田んぼには奈良の田舎にも勝って、蛙がゲコゲコ大合唱しています。さらに当然といえば当然、蛇が至るところでニョロニョロおります。この世屋の土地では、太古から農薬というものを使わずに土と自然に向き合ってきたそうです。なるほど、野性的とも感じた花々が色鮮やかな訳で、蛙や蛇だって生き生きしているはずです。世屋の花々は一見、田んぼの畦道に勝手に咲いているようにも思えましたが、Eさんからの諸注意にもあったのですが、『この土地の草花を、きれいだからと切ったり持ち帰ったりしないで下さい。あれらは、それぞれその場所で咲いてくれるのが分かっていて咲いている、農家にとって必要な草花なんです。』
とのこと。さらに、『どの家々にも柿の木が植わってますが 、あれらは全て渋柿です。庭を飾ったり食べたりするためではなくて、柿渋を利用するために、あえて渋柿の木のまま植わっています。』とのこと。ここでは太古から自然のままで、自然に逆らわず自然と共存して人々が営みを繰り返してきたのでしょう。
姿顔立ちも日本人に限りなく近いDNAをもつブータン人の黒髪を見て、日本人と同じなのに何故にこんなに美しいのだろうと心打たれた感覚に近いナニかを感じました。世界一幸せな最貧国と言われるブータンでは、標高3000メートル以上の山中で自然に逆らわず自然の恩恵を素直に受けながら、太古から変わらぬ農耕民族としての営みがありました。資本主義、金銭至上主義、便利さ最優先という、ある種麻薬のようなものに汚されていない血が、脈々と受け継がれているから、あの美しい黒髪はあるのだろうかと考え、帰国後も“ブータン後遺症”のようなものに“悩まされ”た感覚になりそうです。
スケッチをしようというより、何故だかぼーっとしていたい。ここの空気を胸いっぱい吸い込んで、ぼーっと考え事でもしていたい。ぼくにはそう思えました。
ぼーっと世屋の風景を眺めていると、元茅葺きの家々は、それぞれ絶妙の不規則さで建っているように思えました。おそらくこれも、よく見る整備された建て売りの近代住宅とは違って、山の起伏に逆らわず、家の建てれそうな土の上に昔から建っている。ただそれだけで、不思議と風景として一体感があって美しく調和して見えるのでしょう。
帰り際にEさんに尋ねました。
『この世屋のナニを守ろう、残そうとしておられるんですか?』
『世屋を愛するこの村の者は、観てもらおうとか、観光客を呼ぼうなどとは考えていません。あなた方20人ほどが来られても、それだけで村の人口を上回ってしまいます。この村の者は、団体で来る観光客というものに慣れていません。私たちは、ただ自然にこの土地での暮らしを守っているのです‥。』
日本にまだこんなところが残っているのか…
そういえば、元茅葺きのトタンの家々は、もし“魅せよう”というのなら、世屋の伝統的な“笹吹き”にして、『どうぞ、観光客さんいらしてください。』と、しているだろう。そして、村に一台もなかった自販機だって、公衆便所だってつくるだろう。
しかし誇るべきは、守り残すことが、現代の人々のためや観光客のためなどでなく、世屋の地に生まれてくれる子のためにこそ意味があると考えられること。そして、お金がないと残せないなどと考えていないこと。 そう僕には感じました。
この上世屋は、日本で初めて、集落自体が、そこでの暮らし方というもの自体が、国立公園として認められたそうです。日本の国にも、こういう考え方が生まれてきたんだと嬉しくなりました。
Eさんは最後に、
『ゆんでさん、また20人以内で是非遊びに来てください。稲刈りの頃、秋がまた美しいですよ。』
と言ってくださいました。
Eさんの元笹吹きのNPOの事務所には、『ぶーたん』という看板が掛かっていました…。