ブータン2ほんの数日間のブータン国王夫妻の来日は、日本人に爽やかにして強烈なメッセージと余韻を残していかれた。

僕を含めてイイ意味で感化されやすい日本人は、一気にブータン王国に注目が集まっているようだ。ブータン王国へのツアー旅行の問い合わせも殺到しているらしい。

もし可能なら、日本中の中高生に修学旅行でブータン王国へ行って、本当の幸福ってナンだろう?と感じ考えてくれば、日本の未来も明るくなるのではと考えている僕としては、ブータン王国への注目が集まることは嬉しい。

しかしいろいろとブータン王国へ行くには、現実的に厳しい。

まずブータン王国への入国にはビザが当然必要であるが、単に旅行会社任せで少々の手数料で取れるというものではない。ブータン王国はつい最近までいわゆる鎖国状態にあったこともあり、入国できる外国人全体の数に制限を設けている。ブータン国内にある外国人宿泊用のホテルの部屋数までしかビザ自体を発行しない。そして、仮に上手く入国ビザが取れたとして、滞在日数 × 約20000円 の税金が必要である。そして滞在中は例え一人旅であったとしてもブータン人ガイドの同行が義務づけられている。

ブータンの、この厳しい入国制限は、やはりブータン王国らしいことである。

最貧国なのだから、観光客をどんどん入れて外貨を稼げばいいのに、とはブータン王国は考えない。ブータン人は、愛する美しい国土と文化、民族としての独自性を守ることが最優先なのである。最近でこそ、江戸時代の日本人はもしかして今より幸せだったのでは? と言われたりするが、ブータンが現代の世界的情報化の波にのまれ、国民総幸福という世界が尊敬する価値観(前ブログ記事でも触れました。)が崩壊してしまう可能性は、日本の幕末期とは比べものにならない環境状況だろう。

そのことを世界から学んで知っているからこそ、ブータン人は安易な外貨獲得などに走らないのだろう。

ブータン国民の平均年収は約10万円程度であるらしい。それでも97%の国民が幸せだと感じていることは、怪しい暗示にかかっているわけではない。ほとんどの国民が農業に従事し、自給自足の生活をしていること。それからこれが大きなポイントだと思うが、ブータン人はチベット仏教から派生した独自の仏教を厚く信仰している。例えば殺生は完全禁止である。蝦一匹、蟻一匹殺さない。当然豊富な水量を誇る美しい河の魚も捕らないしもちろん食べない。家畜も牛や馬は農耕用として大切に飼いミルクは搾るが食肉ではない。かといって肉の味を知らないのではなく、大切な家畜が寿命を迎えれば、その肉は保存食となり有り難く食す。実際にブータンの田舎町の唐辛子を干した屋根裏に肉の塊が吊してあった。

動物性タンパク質は主にミルクなどから作るチーズなどで補い、チーズや唐辛子を主とした調味料で味付けられた野菜中心のおかずに、米を主食として現代の日本人からすればかなり質素な食生活をおくっている。

再び、今回のブータン王国へのツアー旅行の盛況ぶりについてだが、先に書いたビザや税金などの、格安ツアー旅行からするとかなり高額な旅行代金を、ウン十万ウン百万人以上いるらしい?富裕層の方々がワケもなく支払えて、入国枠内の人数に入れたとして、はたしてブータンでの食生活に耐えうるだろうか。

舌の肥えた日本人が、世界の国々で満足できる食事をできることはなかなかない。ブータンでの食事は、外国人にはインドなどから輸入された魚や肉をホテルなどでは出されるが、それでも魚は泥臭いし肉もかなりクセのあるシロモノであった。もちろん味付けは辛めで単調である。しかしブータン人は魚も肉も食べないし、凝った調味料のない単調な味付けの野菜タップリの変化の乏しい食事を日々十分楽しんでいる。

また、ブータンでは国中が禁煙である。ほんの五年ほど前までは煙草を普通に国民が吸っていたようだが、前ブータン国王があっさり禁煙国宣言をして、特に国民の反発もなく受け入れられた。よって旅行者も煙草の持ち込みは禁止されている。しかしこれも1カートン約20000円の税金を払っていろいろ手続きをすれば、外国人はブータン人の前を避ければ吸うことはできる。さすがにそこまでして僕も吸おうとは思わなかったし、ブータン旅行から3ヶ月ほどは禁煙に成功したが‥

ちなみにアルコールはというと、ブータンにも地ビールがあったり、米から作ったワインか焼酎のようなそこそこ呑める酒もある。しかしお世辞にも美味いとは言い難い。

いろいろ書いたがつまり、ブータンへは軽い観光気分でお金にモノをイわせて行くようなところではない。

ブータン人は電柱が立って電線が引かれ電気が通った便利な生活になるより、電柱も電線もないトキやコウノトリが危険なく舞い降りる美しい自然に暮らせ、自給自足で慎ましく生きることに喜びと幸福を感じられる国民である。

そんな現代人がすっかり忘れ失った、真に人間らしい本当に普遍の価値観を守り続けているブータンという国に行こうというからには、現代人のメタボな精神をバッサリ削ぎ落とし、スリムになる覚悟で向かうべきだろう。

そして必ず同行するブータン人ガイドに(日本語を話すガイドもいるが大半は英語)、沢山の質問をしてみることをお勧めしたい。

例えば
『ブータンでは殺生が禁止ということは、殺人事件というものはあるんですか?そして、死刑というのはあるんですか?』

と聞いてみる。すると、

『殺人事件なんて私の記憶のなかではなかったと思いますし聞いたこともありません。そしてもちろん死刑という概念自体がありません。』

と答えてくれるだろう。

これは僕が4年前にブータンを訪ねた時の一つの質問である。日本に留学したこともあるという彼とは、夜更けまで酒を呑みながら沢山の話をした。そして、パロの空港へ向かうオンボロバスの車内で、ガタガタ道に揺られながら彼が最も気に入ったという日本の歌 『ふるさと』 を歌ってくれた。三番まで淀みなく。ブータンの美しい自然を車窓に見ながら、恥ずかしくも歌詞カードなしでは分からない二番三番の美しい日本語に感動しながら。

しかしブータンから飛び立った飛行機は、タイ・バンコク経由であった。ブータンでの強烈なカルチャーショックを引きずりながら、バンコクの繁華街でタイスキ鍋をいただいた。 そしてそのブータンにはなかった出汁の効いた海鮮鍋のあまりの美味さと、日本人向けに置いていたよく冷えたスーパードライのビールの美味さに、残念ながら贅沢な味にすでに慣れてしまっている我が舌を呪った。

‥冒頭の写真は、ブータン・パロ郊外のとある農家の一隅です。