1970年、大阪万博開催中の夏、大阪府門真市に四人兄弟の次男として生まれる。
裕福ではないが家族六人で賑やかに暮らし、情操教育に熱心だった父に褒められることが嬉しく、幼少期から身近にある白紙に落書き遊びをして過ごす。
四男の弟が生まれてすぐ母が白血病になり、弟二人は祖父母に預けられ、兄と私は児童養護施設に入る。
孤独な空間で幼心に自己を保ち、精神の安定を図るかの如く本能的に落書き遊びを繰り返していた記憶がある。この頃の原体験が画家を夢見ることに繋がっているように思う。
施設入所中に小学校に入学し、間もなく母を亡くす。母は教育熱心で躾に厳しい人だった。
その後父がコピーライターに転職し、父兄私の男三人で再出発。
数年後に父が再婚し、継母にも慣れ、弟達も戻って家庭環境は次第に安定する。
10才の時に奈良県大和高田市の小さな戸建て住宅へ引っ越す。
中学校に上がり幼少期から憧れていた絵を描く学生生活を目指すものの、当時は校内暴力が社会問題となっていた時代。入学した中学の荒廃は凄まじく、文化部活動は諦め陸上部で体力を養うことに。
その頃父は継母と離婚し、三人目となる若い継母と暮らすことになる。新たな継母の賢く若い価値観で家庭環境がまた一変する。